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古代都市パルミラが危機遺産になった理由と現在の保存状況を解説

砂漠に立ち並ぶ古代都市パルミラの列柱と石造遺構を描いた、危機遺産の解説記事のアイキャッチイラスト
東西交易で栄えた古代都市パルミラの列柱群をイメージしたイラスト(AI生成)。

「古代都市パルミラ 危機遺産」と検索している方は、シリアにあるこの壮大な遺跡がなぜ危機遺産に指定されているのか、そして現在どのような状況にあるのかを知りたいのではないでしょうか。ローマ帝国時代の面影を残す列柱道路やベル神殿など、かつては多くの旅行者や研究者を魅了してきたパルミラですが、2011年からのシリア内戦、そしてISによる破壊行為によって、その姿は大きく変わってしまいました。

この記事では、世界遺産検定2級を保有する筆者が、公式資料や公的機関の情報をもとに、パルミラの基本情報から危機遺産指定の経緯、現在の保存状況までをわかりやすく解説します。

◎この記事のポイント
・古代都市パルミラの基本情報と歴史的背景がわかる
・2013年に危機遺産リストへ登録された理由が理解できる
・ISによる遺跡破壊の詳細と現在の状況を把握できる
・危機遺産制度そのものの仕組みも学べる

古代都市パルミラ危機遺産の基本情報を知る

まずはパルミラという遺跡そのものについて、基本的なデータや歴史、見どころを整理し、危機遺産という言葉が指すものについても確認します。

エミ
エミ:世界遺産を巡る旅でライフワーク中

ねえアキラ、シリアのパルミラって遺跡、写真で見たことあるんだけど、あれってまだ「危機遺産」に登録されてるんだよね?

アキラ
遺産ブロガー・アキラ

そうそう、2013年から危機遺産リストに入ってるんだよ。もともとは砂漠の中にある古代都市で、ローマとオリエントが混ざり合った独特の建築美が見どころだったんだけどね。

エミ
エミ:世界遺産を巡る旅でライフワーク中

内戦の影響が大きいんですよね。実際に破壊されてしまった建造物もあるって聞いて、すごく心が痛みます…。

アキラ
遺産ブロガー・アキラ

うん、正直に言うと今は治安的にも僕らが気軽に訪れられる場所じゃないんだ。でもだからこそ、危機遺産という制度がどういう役割を持っているのか、しっかり知っておく価値があると思うよ。

パルミラの基本データと世界遺産登録概要
パルミラの名前の由来とオアシス都市の歴史
ゼノビア女王とパルミラ帝国の興亡
列柱道路とベル神殿など主要な見どころ
危機遺産リストとは何かその意味
シリア内戦とパルミラ危機遺産指定の経緯

パルミラの基本データと世界遺産登録概要

□古代都市パルミラの基本情報
英語表記)Site of Palmyra
登録区分)文化遺産
登録年)1980年(2013年に危機遺産リストへ登録)
登録基準)(i)(ii)(iv)
登録国)シリア・アラブ共和国
登録地域)アジア(西アジア)

古代都市パルミラについてまず押さえておきたいのは、シリア・アラブ共和国に位置する文化遺産であり、1980年に世界遺産として登録された点です。世界遺産検定などの学習でも頻出のポイントなので、基本データを表で整理しておきましょう。

項目 内容
正式名称 古代都市パルミラ
保有国 シリア・アラブ共和国
分類 文化遺産
登録年 1980年
登録基準 (i)(ii)(iv)
危機遺産指定 2013年
所在地 シリア中央部・ホムス県タドモル

登録基準の(i)は人類の傑作といえる建造物であること、(ii)は文化交流の重要な証拠であること、(iv)は歴史的な建築様式や技術を示す代表例であることを意味します。パルミラはローマ建築と東方の様式が融合した独自の景観を持つため、この3つの基準がすべて認められました。

所在地は首都ダマスカスから北東へ約230kmほど離れた場所にあり、ホムス県タドモルという町の一角に遺跡が広がっています。シリアを代表する遺跡の1つとして知られ、内戦前は多くの観光客が訪れる人気スポットでした。

危機遺産への指定は2013年ですが、これはパルミラ単独の問題ではありません。シリア国内にある世界遺産6件すべてが同時に危機遺産リストへ加えられており、国全体の情勢悪化が背景にあることがわかります。この点については後ほど詳しく触れていきます。

なお、世界遺産登録から危機遺産指定までは30年以上の期間が空いています。長年安定して保護されてきた遺跡が、内戦という外部要因によって一気に危機的状況へ陥ったという経緯は、世界遺産の脆さを考えるうえで重要な事例といえるでしょう。

基本データを踏まえると、パルミラは単なる古代遺跡ではなく、歴史的価値と現代の政治情勢が交差する場所であることが見えてきます。次の章では、名前の由来やオアシス都市としての歴史的背景を掘り下げていきます。

パルミラの名前の由来とオアシス都市の歴史

パルミラという名前は、オアシスに茂るナツメヤシにちなむ名称とされています。実際に遺跡周辺は緑豊かなナツメヤシの木々に囲まれたオアシスとなっており、砂漠地帯の中でひときわ目立つ存在でした。

このオアシスという地理的条件が、パルミラの繁栄を支えた最大の要因です。砂漠を横断する交易ルートの中継地として、東西の商人たちが立ち寄る場所となり、水と休息を求める旅人にとって欠かせない拠点になりました。

紀元1世紀、パルミラはローマ帝国のシリア属州に組み込まれます。しかし完全な支配下に置かれたわけではなく、一定の自治権を保ちながら独自の発展を続けました。この柔軟な立場が、東西交易の中継地としての役割をさらに強めるきっかけになったと考えられています。

交易によって蓄えられた富は、都市の建築にも反映されました。列柱道路や神殿、劇場といった壮大な建造物が次々と建てられ、ローマ風の様式に東方の装飾が組み合わさった独特の景観が生まれます。この融合美こそが、後に世界遺産登録の評価基準となった要素です。

3世紀後半になると、ローマ帝国内部で混乱が広がり、パルミラにも大きな転機が訪れます。この時代に登場したのが、後の章で詳しく紹介する女王ゼノビアです。彼女の指導のもとパルミラは急速に勢力を拡大し、シリアからエジプトにまで支配領域を広げていきました。

ゼノビアは267年ごろに夫の死後の実権を握り、270年ごろにはエジプトなどへ勢力を広げ、やがてローマからの独立路線を強めていきます。しかしこの独立路線は長くは続かず、ローマ軍との対立を招く結果となりました。オアシス都市として栄えた繁栄の歴史は、やがて政治的な激動の時代へと移り変わっていくのです。

ゼノビア女王とパルミラ帝国の興亡

古代都市パルミラの歴史を語るうえで欠かせないのが、ゼノビア女王という一人の女性の存在です。パルミラはもともとローマ帝国の属州として自治を許された交易都市でしたが、3世紀後半にローマ帝国内部が混乱すると、その隙をついて急速に力を伸ばしていきます。この時代の中心にいたのがゼノビア女王でした。

ゼノビアは夫であるオダエナトゥスの死後、幼い息子の後見人として実権を握り、やがて自らパルミラを率いる存在になっていきます。彼女はただの後継者ではなく、軍事・外交の両面で優れた才覚を発揮した人物として知られており、周辺地域への遠征を積極的に進めました。その勢力はシリアだけにとどまらず、エジプトやアナトリア半島の一部まで拡大し、パルミラは一時的に広大な範囲を支配する存在へと成長します。

270年ごろにはエジプトなどへ支配を広げ、やがてローマ帝国からの独立を目指す姿勢を明確にしていきました。
ゼノビア自身も「アウグスタ」という皇帝に準じる称号を名乗るようになり、独自の貨幣を発行するなど、ローマに対抗する姿勢を強めていきました。この動きは、当時のローマ皇帝アウレリアヌスにとって看過できない脅威となります。

アウレリアヌスは大軍を率いてパルミラへ進軍し、両者は複数回にわたって激突しました。パルミラ軍は善戦したものの、最終的にはローマ軍に敗れ、ゼノビア女王自身も捕らえられてしまいます。捕虜となったゼノビアの最期については諸説あり、ローマに連行されて処刑されたとする説や、ローマで余生を過ごしたとする説などが伝えられていますが、いずれにしてもパルミラ帝国としての独立は272年ごろに終焉を迎えました。

273年には再び起きた反乱がローマ軍に鎮圧され、都市は大きな破壊を受けました。以降もローマ支配下の都市として存続しましたが、交易都市としてのかつての繁栄は失われていきました。
この栄光と滅亡の物語は、現在でも遺跡を訪れる人々の心を惹きつける大きな理由になっています。

時期 出来事
3世紀半ば オダエナトゥスが台頭する
267年ごろ オダエナトゥス死去後、ゼノビアが息子の後見人として実権を握る
270年ごろ ゼノビアがエジプトなど周辺地域へ勢力を拡大する
272年 ローマ軍に敗北し、ゼノビアが捕虜となる
273年 再反乱が鎮圧され、都市が大きく破壊される

世界遺産検定などの学習では、この年表の流れとゼノビア女王が独立を目指した結果、ローマに滅ぼされたという因果関係を押さえておくと、記述問題や選択問題への対応がしやすくなります。

古代の衣装をまとったゼノビア女王と、列柱道路が続くパルミラの街並みを描いた想像イラスト(AI生成)

パルミラを率いたゼノビア女王と古代都市の想像図。人物の容姿や街並みは、当時の姿を正確に再現したものではありません(AI生成)。

列柱道路とベル神殿など主要な見どころ

パルミラ遺跡には、かつての繁栄をしのばせる建造物が数多く残されています。その中でも代表的な存在といえるのが、都市の中心を貫く列柱道路です。
全長は約1.2kmにも及び、最盛期には750本以上のコリント式の柱が整然と並んでいたとされています。交易の中継地として栄えたパルミラでは、この道を通じて人や物資が行き交い、都市全体に活気をもたらしていました。

列柱道路の周辺には、公共浴場や市場、劇場など都市生活を支えた施設の跡も点在しており、当時の人々の暮らしぶりを想像させてくれます。特に劇場は保存状態が比較的良好で、階段状の観客席や舞台の構造が確認できる貴重な遺構でした。

宗教的な建造物として最も重要とされていたのがベル神殿です。紀元1世紀に建てられたとされるこの神殿は、パルミラの人々が信仰した神々を祀る中心的な施設であり、規模の大きさや装飾の緻密さから、シリア国内でも屈指の遺跡として高く評価されていました。もう一つの重要な宗教施設がバール・シャミン神殿で、こちらも古い歴史を持つ神殿として知られています。

列柱道路の交差点付近には、四面門(テトラピュロン)と呼ばれる特徴的な建造物がありました。四隅の台座にそれぞれ4本ずつ、計16本の柱を配置した構造が特徴です。さらに郊外には、塔状墓や地下墓などが集まる大規模な墓地が広がっており、パルミラの人々の死生観や埋葬文化を知る手がかりとして注目されています。

遺構名 特徴
列柱道路 約1.2km、750本以上の柱が並ぶ交易都市のメインストリート
ベル神殿 紀元1世紀建立、パルミラ最大級の宗教施設
バール・シャミン神殿 ベル神殿と並ぶ重要な宗教建築
四面門 都市の入口を象徴するアーチ構造の門
共同墓地 塔状墓や地下墓などが集まる大規模な墓地
劇場 観客席や舞台跡が残る公共施設

これらの見どころは、いずれもローマ文化と東方文化が融合した独特の建築様式を持っており、パルミラ様式と呼ばれることもあります。柱の装飾や神殿の設計には、ギリシャ・ローマ的な要素と中東地域独自の意匠が入り混じっており、東西交易の中継地として栄えた歴史を今に伝えてくれる貴重な証拠といえるでしょう。ただし後述するように、これらの多くはのちの内戦下で深刻な被害を受けており、現在の姿は往時とは大きく異なる部分も少なくありません。

破壊前のパルミラのベル神殿を、石造りの本殿と周囲の列柱を中心に描いたイラスト(AI生成)

2015年の破壊以前の記録写真を参考に、ベル神殿の姿を描いたイメージイラスト(AI生成)。

危機遺産リストとは何かその意味

世界遺産と聞くと「一度登録されればずっと安全」というイメージを持つ方も多いかもしれませんが、実際はそうとは限りません。危機遺産リストとは、世界遺産として認められた場所のうち、何らかの理由でその価値が失われる恐れがあると判断された遺産を集めたリストのことです。正式には「危機にさらされている世界遺産リスト」と呼ばれ、ユネスコの世界遺産委員会が管理しています。

世界遺産に登録された場所には「顕著な普遍的価値」を守り続ける義務が発生します。
ところが、開発による環境破壊や自然災害、そして武力紛争や密猟といった人為的な要因によって、この価値が損なわれそうになるケースが出てきます。そうした状況に陥ったとき、世界遺産委員会は緊急の保護対策が必要だと判断し、対象の遺産を危機遺産リストに加える仕組みになっています。

危機遺産に指定されると、国際社会からの注目が集まりやすくなり、保存のための技術支援や資金援助が得やすくなるという側面があります。一方で、危機遺産という名前自体が持つイメージから、その国の治安不安や管理体制への不信感につながってしまう場合もあり、必ずしもプラスの効果だけとは言えません。ここが危機遺産制度の悩ましいところです。

危機遺産指定の主な要因 具体例
武力紛争・内戦 建造物の破壊、盗掘、管理体制の崩壊
自然災害 地震、洪水、火山活動などによる損傷
都市開発 周辺の建築や道路整備による景観・遺構への影響
密猟・盗掘 自然遺産での野生動物の減少、遺跡からの文化財流出

危機遺産リストに載ることは「終わり」ではなく、むしろ「本格的な保護活動のスタート地点」と捉えるとわかりやすいでしょう。実際にガラパゴス諸島のように、危機的状況から脱して危機遺産リストを外れた例もあり、リスト入りがきっかけで国際的な支援体制が整うこともあります。パルミラの場合も、この制度の枠組みのなかで保護と再建への取り組みが続けられています。

シリア内戦とパルミラ危機遺産指定の経緯

古代都市パルミラが危機遺産に指定された背景には、2011年に始まったシリア内戦という大きな出来事があります。中東における民主化運動の広がりを受け、シリア国内でも政府への抗議活動が起こり、これが政府軍と反体制派との激しい武力衝突に発展しました。この混乱がパルミラを含む国内の貴重な遺産すべてに及んでいくことになります。

内戦が始まった当初、パルミラの遺跡そのものが戦闘の最前線になることはあまり想定されていませんでした。しかし治安の悪化にともない、遺跡周辺の警備体制が手薄になっていきます。そのタイミングを見計らうように、少なくとも4基の墓から彫像や石棺が盗み出される事件が確認されました。歴史的価値の高い文化財が闇市場で取引される事態が現実に起こってしまったのです。

このような盗掘や管理体制の崩壊を重く見たユネスコの世界遺産委員会は、2013年、パルミラを含むシリア国内の世界遺産6件すべてを一斉に危機遺産リストへ加えることを決定しました。
各遺産の被害状況や潜在的な脅威に加え、シリア全土で保護活動が困難になっている状況を踏まえた措置だった点がポイントです。

年 出来事
2011年 シリア国内で反政府デモが拡大し、内戦状態へ移行
2012〜2013年 治安悪化により遺跡周辺の警備が手薄になり、墓の盗掘が確認される
2013年 パルミラを含むシリアの世界遺産6件が危機遺産リストに登録

この時点ではまだ、後に起こる過激派組織による大規模破壊は始まっていません。あくまで内戦による治安悪化と盗掘リスクが、最初の危機遺産指定の主な理由だったことを押さえておく必要があります。「内戦そのもの」と「過激派による破壊」は時系列として別の段階であり、この違いを理解しておくと、パルミラの歴史をより正確に把握できます。

また、シリアでは他にもダマスカスの旧市街やアレッポの旧市街、クラック・デ・シュヴァリエなど、いずれも歴史的価値の高い遺産が同時に危機遺産となりました。一国のすべての世界遺産が危機遺産リストに載るというのは非常に稀な事態であり、シリア内戦がいかに広範囲かつ深刻な影響をもたらしたかがうかがえます。

古代都市パルミラが危機遺産になった理由と現状

ここでは危機遺産指定後に起きたISによる破壊の詳細と、現在の保存修復の取り組みについて解説します。各遺産の被害状況や潜在的な脅威に加え、シリア全土で保護活動が困難になっている状況を踏まえた措置だった点がポイントです。

エミ
エミ:世界遺産を巡る旅でライフワーク中

パルミラって、ISに破壊される前は本当に壮大な遺跡だったんですよね。ベル神殿とか、写真で見るだけでも圧倒される規模で。

アキラ
遺産ブロガー・アキラ

そうそう、2015年の破壊は本当にショックだったよ。あそこは治安的にまだ厳しいから僕もまだ行けてないんだけど、当時の記録映像とか見ると胸が痛くなるよね。

エミ
エミ:世界遺産を巡る旅でライフワーク中

今は保存修復の取り組みも進んでるんですよね?3Dスキャンとかのデジタル記録を使って、破壊前の姿を残そうとしてるって聞きました。

アキラ
遺産ブロガー・アキラ

うん、UNESCOとか専門家チームが現地調査を続けてるみたい。まだ渡航は勧められない状況だけど、いつか安全に見に行けるようになったら、絶対訪れたい場所の一つだね。

ISによる遺跡占拠と専門家殺害の経緯
バール・シャミン神殿とベル神殿の破壊
凱旋門と四面門が受けた被害の実態
遺跡破壊の背景にある資金獲得の目的
奪還後の現状と保存修復への取り組み
他の危機遺産との比較で見る破壊の規模
古代都市パルミラの危機遺産に関するよくある質問Q&A

ISによる遺跡占拠と専門家殺害の経緯

パルミラの危機を語るうえで、多くの人が最も強い衝撃を受けるのが2015年に起きたIS(イスラム国)による遺跡占拠です。シリア内戦が長引くなか、過激派組織ISは勢力を拡大し、2015年5月21日にシリア政府軍を撃破してパルミラの市街地と遺跡地区を制圧しました。この時点で、パルミラは世界的に注目される文化財であると同時に、武力衝突の最前線に立たされることになったのです。

ISが遺跡を支配下に置いたことで、国際社会は「歴史的な建造物が破壊されるのではないか」という強い危機感を抱きました。実際にISは占領直後から遺跡周辺で監視を強め、外部からの調査や保護活動をほぼ不可能な状態にしてしまいます。パルミラという貴重な遺産が、外の世界から切り離されてしまった瞬間でした。

この占拠のなかで特に痛ましい出来事として知られているのが、遺跡保護の専門家であったハレド・アサド氏の殺害です。アサド氏はパルミラ遺跡の調査や保存に長年携わってきた考古学者で、遺跡に関する知識が非常に豊富な人物でした。ISはアサド氏に対して、遺跡に隠された財宝の情報などを求めたとされていますが、彼が協力を拒んだ結果、公開の場で斬首されるという悲劇的な結末を迎えます。

この事件は、単に一人の専門家が犠牲になったという以上の意味を持っています。遺跡を守ろうとする知識や意志そのものが標的にされた出来事として、世界中の考古学者や文化財関係者に大きな衝撃を与えました。以下に、この時期の主な出来事を簡単に整理しておきます。

時期 出来事
2015年5月21日 ISがシリア軍を撃破し、パルミラ市街地と遺跡地区を制圧
2015年8月 遺跡保護の専門家ハレド・アサド氏が殺害される
2015年8月以降 神殿や記念建造物への破壊行為が本格化

専門家が命を落としたことで、その後のパルミラの保護活動には大きな空白が生まれてしまいました。この空白期間に、ISはさらに大規模な破壊行為へと動いていくことになります。

バールシャミン神殿とベル神殿の破壊

ハレド・アサド氏の殺害からわずか数日後、パルミラを象徴する二つの神殿が相次いで破壊されるという事態が起こりました。バール・シャミン神殿とベル神殿は、いずれも古代パルミラの信仰の中心地であり、2000年近い歴史を持つ貴重な建造物でした。
この二つが失われたことは、パルミラの危機遺産としての状況をさらに深刻なものにしています。

まず標的となったのはバール・シャミン神殿です。天空神バール・シャミンを祀るこの神殿は、比較的保存状態が良く、柱や壁の一部が美しく残されていました。しかしISは2015年8月23日、この神殿に爆発物を仕掛けて爆破し、主要な構造物のほとんどを瓦礫に変えてしまいます。建物の中心部分が一瞬で失われたことは、映像や写真を通じて世界中に衝撃を与えました。

続いて8月30日には、パルミラで最も重要とされるベル神殿が破壊の対象となりました。ベル神殿はメソポタミアの主神ベルを祀る巨大な神殿で、パルミラ最大級の建造物として知られていました。石造りの本殿部分は特に保存状態が良く、多くの研究者や観光客にとって「パルミラを象徴する建物」として親しまれていた場所です。ISはここでも大量の爆発物を使用し、本殿のほぼすべてを瓦礫の山に変えてしまいました。

ISは宗教的・宣伝的な目的で遺跡を破壊する一方、文化財の盗掘・密売や盗掘者への課税を資金源にしていたと指摘されています。ただし、神殿の爆破自体が資金獲得を直接の目的としていたと断定することはできません。

神殿名 破壊日 特徴
バール・シャミン神殿 2015年8月23日 天空神を祀る比較的小規模だが保存状態の良い神殿
ベル神殿 2015年8月30日 パルミラ最大級、主神ベルを祀る象徴的建造物

二つの神殿が失われたことで、パルミラの景観はそれまでとは大きく変わってしまいました。それでも、破壊された建造物の一部は瓦礫として現地に残されており、将来的な修復や再建の可能性を探る動きも国際的な調査団によって続けられています。失われたものは大きいものの、記録や資料をもとに再評価しようとする取り組みは、現在も少しずつ進められているのです。

破壊後のベル神殿に残された石造りの入口と、周囲に散乱する柱や石材を描いたイラスト(AI生成)

2015年の破壊後の記録写真を参考に、ベル神殿の入口と崩れた石材を描いたイメージイラスト(AI生成)。

凱旋門と四面門が受けた被害の実態

パルミラの象徴的な建造物として知られる凱旋門と四面門も、内戦とISの占拠によって大きな被害を受けました。これらは列柱道路の中でも特に写真や資料で取り上げられることが多い建造物であり、パルミラの美しさを象徴する存在でもあったため、その被害は世界中に大きな衝撃を与えました。

凱旋門は列柱道路の入り口に位置し、三つの通路を持つ立派なアーチ状の門でした。地元の目撃者らの証言によると、2015年10月4日にこの凱旋門が爆破されたことが伝えられています。長い年月を経てもなお美しい姿を保っていた凱旋門が、わずか一瞬の爆破によって崩れ落ちてしまった事実は、多くの専門家や遺跡愛好者に深い悲しみをもたらしました。

一方の四面門は、列柱道路の交差点に建てられていた特徴的な建造物で、四方向にそれぞれ柱の束が立ち並ぶ独特なデザインが魅力でした。パルミラの街を歩く人々にとって、道の目印としても機能していたと考えられています。しかし2016年12月のISによる再占拠後、2017年1月には四面門の破壊と劇場の一部の損傷が確認されました。

被害の状況を整理すると、以下のようになります。

建造物 被害が確認された時期 被害の内容
凱旋門 2015年10月ごろ 爆破により大部分が崩落
四面門 2017年1月に被害を確認 柱や構造部分が破壊

これらの被害は、単なる建物の損壊にとどまりません。二千年近い時間を生き延びてきた歴史の証拠が、わずかな期間で失われてしまったという点に、多くの人が言葉を失いました。現在は国際的な支援のもとで修復や記録保存の取り組みが進められていますが、完全に元の姿を取り戻すことは難しいとされており、失われたものの大きさを物語っています。

破壊前のパルミラの凱旋門を左に、四面門を右に並べた比較イラスト(AI生成)

破壊前の記録写真を参考に描いた凱旋門(左)と四面門(右)のイメージ。アーチを持つ凱旋門と、柱を四隅に配置した四面門の違いを表しています(AI生成)。

遺跡破壊の背景にある資金獲得の目的

パルミラの遺跡がISによって破壊された理由については、単純に「偶像崇拝を禁止する思想によるもの」と考える方も多いかもしれません。ただし、遺跡の破壊と並行して行われた文化財の盗掘・密売は、ISの資金源にもなっていました。

ISは占拠した地域から得られる資源を組織の運営資金に変えることに力を入れており、パルミラの遺跡もその対象となりました。特に問題視されたのが、盗掘によって持ち出された文化財の密売です。遺跡内の彫像や石棺、装飾品などは歴史的価値が非常に高く、闇市場では高額で取引されることが知られています。パルミラでは内戦が始まった2011年以降、既に墓の彫像や石棺などの盗掘が確認されており、これが2013年に危機遺産リストへ登録される一因にもなりました。

ISが遺跡を制圧した後は、こうした盗掘や密売がさらに組織的に行われるようになったとされています。破壊行為として大々的に報じられたベル神殿やバール・シャミン神殿の爆破は思想的な側面が強い一方で、目立たない場所では発掘や盗掘が静かに進められ、売却できる文化財が持ち出されていたと考えられています。

資金獲得の手段としては、以下のようなものが指摘されています。

  • 盗掘した彫像や石棺などの文化財を闇市場で密売する
  • 発掘作業を許可制にして、地元住民から税金のような形で金銭を得る

このように、ISによる文化遺産への加害には、宗教的・宣伝的な破壊と、資金源となる盗掘・密売という側面がありました。歴史的建造物が武力紛争の資金源として利用されてしまうという現実は、世界遺産の保護がいかに困難な課題であるかを改めて示しているといえるでしょう。

奪還後の現状と保存修復への取り組み

パルミラの遺跡は2016年3月にシリア政府軍が一度奪還したものの、同年12月に再びISの手に落ち、翌2017年3月にようやく完全な形で解放されました。長い攻防の末に取り戻されたパルミラですが、奪還後も遺跡が元の姿に戻ったわけではありません。むしろ、そこから始まったのは気の遠くなるような調査と修復の道のりでした。

奪還直後、専門家たちがまず取り組んだのは被害状況の正確な把握です。爆発でどの部分が崩れ、どの石材が残っているのかを一つひとつ確認する作業は、まるで巨大なパズルを組み立てる準備のような地道な作業でした。ユネスコをはじめとする国際機関や考古学者たちは、現地入りが難しい時期も衛星写真や過去の測量データを活用しながら、破壊前の姿を記録に残す努力を続けていました。

修復の現場で注目されているのが、デジタル技術を使った遺跡の再現です。ベル神殿や凱旋門などは、内戦前に撮影された写真や3Dスキャンのデータをもとに、コンピューター上で立体的に復元する試みが進められています。実際に崩れた石材を積み直す物理的な修復には多くの時間と資金が必要なため、まずはデジタルアーカイブとして記録し、将来の本格修復に備える動きが広がっているのです。

一方で、現地の治安状況は依然として不安定であり、一般の観光客が自由に訪問できる状態には至っていません。外務省はシリア全土に「レベル4:退避してください。渡航は止めてください。(退避勧告)」を発出しており、観光目的での訪問は控える必要があります。
修復作業自体も、資金不足や専門家の安全確保といった課題を抱えながら、少しずつ進められている段階にとどまっています。

年 出来事
2016年3月 シリア政府軍が一度奪還
2016年12月 ISが再占拠
2017年1月 四面門の破壊と劇場の一部の損傷が確認される
2017年3月 シリア政府軍が再び奪還
2017年以降 被害調査、デジタル記録、修復計画の検討が進められる

 

このように、パルミラは奪還されたことでようやく再生への第一歩を踏み出しましたが、完全な修復にはまだ長い時間がかかると見られています。焦らず着実に記録と保存を積み重ねていくことが、これからのパルミラにとって欠かせない姿勢と言えるでしょう。

パルミラの遺跡で、専門家が柱の装飾や石材を調査・測定し、記録する保存活動のイメージイラスト(AI生成)

遺跡に残された石材を調査・記録する保存活動のイメージ。特定の調査現場を再現したものではありません(AI生成)。

他の危機遺産との比較で見る破壊の規模

パルミラの被害の大きさを理解するには、他の危機遺産と比較してみるのがわかりやすい方法です。世界には内戦や紛争、自然災害などによって危機遺産リストに登録された遺産が数十件存在しますが、そのなかでもパルミラの被害は特に深刻な部類に入ります。

よく比較の対象として挙げられるのが、アフガニスタンのバーミヤン遺跡です。バーミヤンは巨大な石仏がタリバンによって爆破され、世界中に衝撃を与えた遺産として知られています。パルミラも神殿や凱旋門といった象徴的な建造物が意図的に破壊された点で共通しています。

ただし、被害の範囲という点では違いも見られます。バーミヤンでは石仏そのものが主な標的となったのに対し、パルミラでは神殿・凱旋門・墓地・劇場など複数のエリアにわたって被害が広がった点が特徴です。都市全体が長期間にわたり占拠されたことで、被害が一箇所に留まらず、広範囲に及んでしまったといえます。

遺産名 主な被害内容 危機遺産指定年
古代都市パルミラ 神殿・凱旋門・墓地・劇場などの破壊 2013年
バーミヤンの文化的景観と古代遺跡群 巨大石仏の爆破 2003年
古代都市アレッポ 市街地の建造物や旧市街の損壊 2013年
ダマスカスの旧市街 内戦による建造物被害の懸念 2013年

また、シリア国内の他の遺産と比べても、パルミラは国際的な知名度と歴史的価値の高さゆえに、破壊による損失の大きさが際立って報じられたケースといえます。列柱道路やベル神殿は教科書や旅行ガイドでもたびたび紹介されてきた建造物であり、それらが失われたことは考古学的な損失だけでなく、人類共有の記憶の一部が消えてしまったような感覚を多くの人に与えました。

危機遺産リストに載っている遺産の多くは、開発による環境変化や自然災害が原因となるケースも少なくありません。その中で、パルミラのように武力紛争による意図的な破壊が主な原因となっている遺産は、被害の予測や防止が難しいという点でも特に対応が困難とされています。こうした比較を通じて見えてくるのは、遺産の保護には平時からの備えだけでなく、紛争地域における国際的な監視体制の強化が欠かせないという教訓です。

古代都市パルミラの危機遺産に関するよくある質問Q&A

Q:古代都市パルミラはなぜ危機遺産に指定されたのですか。

A:2011年に始まったシリア内戦による治安悪化が最大の理由です。墓の彫像や石棺などの盗掘が確認されたことに加え、武力紛争のなかで遺跡が破壊される危険性が高まったため、2013年にユネスコの危機遺産リストに記載されました。パルミラだけでなく、シリア国内にある世界遺産6件すべてが同時に危機遺産となっています。

Q:2024年時点で、シリアの世界遺産はすべて危機遺産だったのでしょうか。

A:はい、2024年時点でもシリアにある6件の世界遺産はすべて危機遺産リストに残っています。内戦の完全な終結が確認されず、遺跡の安全な保存管理が難しい状態が続いていることが背景にあります。危機遺産リストからの解除は、脅威の軽減や保存状態の改善などを踏まえ、世界遺産委員会が判断します。
なお、パルミラについては、2026年の世界遺産委員会でも危機遺産リストへの継続記載が決定されています。

遺産名 分類 危機遺産指定年
古代都市パルミラ 文化遺産 2013年
ダマスカスの旧市街 文化遺産 2013年
古代都市アレッポ 文化遺産 2013年
クラック・デ・シュヴァリエとサラ・ディーン城塞 文化遺産 2013年
シリア北部の古村群 文化遺産 2013年
ボスラの旧市街 文化遺産 2013年

Q:パルミラ遺跡は今でも見学や訪問はできますか。

A:現時点で一般の観光客が安全に訪れることは非常に難しい状況です。外務省はシリア全土に「レベル4:退避してください。渡航は止めてください。(退避勧告)」を発出しています。訪問を希望する場合は、必ず最新の治安情報や公的機関の発表を確認することが欠かせません。

Q:ゼノビア女王とパルミラの破壊は関係があるのですか。

A:直接の関係はありませんが、パルミラの歴史的な価値を語るうえで欠かせない人物です。ゼノビア女王が築いた独立国家としての栄光の記憶が、現代においてもパルミラという場所の重要性を高めており、それだけに近年の破壊被害がより大きな衝撃として受け止められています。

Q:危機遺産と世界遺産の違いがよくわかりません。

A:危機遺産は世界遺産の中の特別なカテゴリーであり、世界遺産から除外されたわけではありません。あくまで「今、価値が失われる危険がある」と国際的に認められた遺産に対して、追加の注意と支援を呼びかけるための仕組みです。危機遺産リストに入っても世界遺産としての登録自体は継続します。

Q:世界遺産検定の学習でパルミラに関して特に押さえておくべき点は何ですか。

A:登録年(1980年)、登録基準(i・ii・iv)、危機遺産指定年(2013年)、指定理由(シリア内戦)の4点は特に出題されやすい部分です。あわせて、シリア国内の6件すべてが同時期に危機遺産となった点も、まとめて覚えておくと理解が深まります。

Q:破壊された建造物は元の姿に戻すことができるのでしょうか。

A:一部の建造物については修復が検討されていますが、完全に元の姿へ戻すのは容易ではありません。崩れた石材の多くが破損・散逸しており、当時の技術や材料を正確に再現することが難しいためです。今後も国際的な専門家の協力による長期的な調査と修復計画が必要とされています。

世界遺産検定に挑戦!古代都市パルミラ 危機遺産クイズ

記事を読んだあとにチャレンジできる世界遺産検定風クイズです。知識の復習として挑戦してみましょう。

【問題1】(4級程度)古代都市パルミラが位置する国はどこでしょう?

A. エジプト

B. シリア・アラブ共和国

C. ヨルダン

D. イラク


正解:B
パルミラはシリア・アラブ共和国のホムス県タドモルに位置する古代都市遺跡です。首都ダマスカスから北東へ約230km離れた場所にあります。

【問題2】(3級程度)古代都市パルミラが世界遺産に登録されたのは何年でしょう?

A. 1972年

B. 1980年

C. 1995年

D. 2013年


正解:B
パルミラは1980年に文化遺産として世界遺産に登録されました。その後2013年に危機遺産リストへ指定されています。

【問題3】(2級程度)古代都市パルミラの世界遺産登録基準に含まれないものはどれでしょう?

A. (i)人類の傑作といえる建造物であること

B. (ii)文化交流の重要な証拠であること

C. (iii)類例のない証拠であること

D. (iv)歴史的建築様式や技術を示す代表例であること


正解:C
パルミラの登録基準は(i)(ii)(iv)の3つです。ローマ建築と東方様式の融合が評価され、(iii)は適用されていません。

エミ
エミ:世界遺産を巡る旅でライフワーク中

読み終わったんだけど、パルミラって内戦前は本当に人気の観光地だったんだね。写真で見るあの遺跡群、いつか行ってみたいってずっと思ってたんだ。

アキラ
遺産ブロガー・アキラ

うん、内戦前の写真や記録を見ると、ローマ建築と東方様式が混ざり合った景観は本当に圧巻だよね。でも、今は安全面から現地への訪問はおすすめできないね。

エミ
エミ:世界遺産を巡る旅でライフワーク中

登録から危機遺産指定まで30年以上も経ってるのに、内戦であっという間に危機的状況になっちゃったっていうのが、すごく考えさせられるよね。

アキラ
遺産ブロガー・アキラ

そうなんだよ。シリア国内の世界遺産6件が全部同時に危機遺産になったってところからも、いかに国全体の情勢が遺跡の運命を左右するかがわかる。治安が安定するまでは、写真や資料で学ぶのが一番安全な楽しみ方だと思うな。

古代都市パルミラの危機遺産のまとめ

  • 古代都市パルミラはシリア・アラブ共和国にある文化遺産で1980年に登録された
  • 登録基準は(i)(ii)(iv)で世界遺産検定でも頻出のポイントである
  • 2013年にシリア内戦の影響で危機遺産リストに指定された
  • シリア国内の世界遺産6件はすべて同時に危機遺産となっている
  • パルミラという名前はオアシスのナツメヤシにちなむ名称とされる
  • 3世紀にはゼノビア女王のもとでパルミラ帝国として独立を果たした
  • 列柱道路やベル神殿など貴重な遺構が数多く残っていた
  • 2015年にISが遺跡地区を占拠し専門家が殺害される事件も起きた
  • バール・シャミン神殿とベル神殿がISによって破壊された
  • 凱旋門や四面門も攻撃を受け大きな被害が確認されている
  • ISは遺跡を破壊する一方、文化財の盗掘・密売などを資金源にしていた
  • 2017年に政府側が遺跡を完全に奪還したが被害は大きかった
  • 奪還後は国際的な専門家による調査と修復活動が進められている
  • 2026年の世界遺産委員会でも危機遺産リストへの継続記載が決定された
  • 訪問には安全面でのリスクが大きく最新の公的情報の確認が欠かせない
  • 危機遺産は世界遺産から除外されたわけではなく保護強化の位置づけである
遺産アドベンチャー イトポン

当ブログへ訪問いただきありがとうございます。
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子供達も大きくなり時間にも余裕が出てきました。世界遺産巡りをはじめ城・神社・寺巡りの旅行とキャンプが大好きな58歳です。
以前別のサイト(https://itoponsite.com)で世界遺産を紹介していましたがブログ引っ越しで大好きな世界遺産のブログを立ち上げました。
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