クロアチアの南端、アドリア海に面した美しい街ドゥブロヴニク。中世の街並みがそのまま残るこの旧市街は、「アドリア海の真珠」と称されるほどの魅力を持ち、世界遺産にも登録されています。この記事では、このドゥブロヴニク旧市街が、どのようにしてその名を得たのか、その歴史とともに、映画「魔女の宅急便」との意外な関係についても探っていきます。訪れる人々を魅了するその美しさを、あなたも体感してみませんか?
ドゥブロヴニク旧市街の観光スポットとその魅力
ドゥブロヴニク旧市街の歴史と文化的背景
アドリア海の真珠と称されるドゥブロヴニクの美しさ
ドゥブロヴニク旧市街の歴史と魔女の宅急便の舞台を探る
ドゥブロヴニク旧市街がどのようにして「魔女の宅急便」の舞台として関連付けられたか、その歴史背景を掘り下げて紹介します。
「アキラ、知ってた?『魔女の宅急便』の舞台って、実はドゥブロヴニク旧市街がモデルになってるんだって。」
「そうなんだ!あの街並み、確かに映画の中でキキが飛んでるシーンと重なるところがあるよね。」
「そうなの。実際に訪れてみたら、まるで映画の中に入ったみたいな気分になれるわよ。」
魔女の宅急便とドゥブロヴニク旧市街の舞台背景
「魔女の宅急便」は、宮崎駿監督によるスタジオジブリの名作として知られています。
この映画で描かれる街並みは、多くの人々に愛されるファンタジーの世界ですが、その背景には実在する場所がモデルになっています。
その一つが、クロアチアのドゥブロヴニク旧市街です。
ドゥブロヴニク旧市街は、中世の城壁に囲まれた美しい街並みが特徴です。
映画の中でキキが空を飛びながら街を見下ろすシーンや、石畳の通りを歩く場面など、まるでドゥブロヴニクの街をそのまま映したかのような描写が見られます。
特に、旧市街の赤い屋根と青い海が広がる風景は、映画のファンタジックな雰囲気をさらに引き立てています。
また、ドゥブロヴニクの街並みは、ヨーロッパの古い都市の雰囲気を色濃く残しており、その歴史的な背景が映画の舞台設定にぴったりと合っています。
旧市街の狭い路地や、石造りの建物は、映画の中でキキが新しい生活を始める街の姿と重なり、観客に強い印象を与えます。
このように、ドゥブロヴニク旧市街は「魔女の宅急便」の舞台背景に深く関わっており、その美しい街並みは映画の世界観を支える重要な要素となっています。
映画を見てこの街を訪れると、まるでキキの物語の一部になったような気分を味わうことができるでしょう。
ドゥブロヴニク旧市街で魔女の宅急便の舞台を巡る旅
ドゥブロヴニク旧市街を訪れる際に、「魔女の宅急便」の舞台を巡る旅を計画するのは、映画ファンにとって特別な体験となります。
映画の中に登場する風景やシーンを実際に目にすることで、映画の世界をより一層楽しむことができるでしょう。
まず訪れるべきスポットは、旧市街の中心部にあるストラドゥン通りです。
この石畳のメインストリートは、映画の中でも印象的なシーンが再現されています。
特に、キキがデリバリーサービスを開始した頃に飛び回る場面は、この通りをモデルにしていると言われています。
次に訪れたいのは、ドゥブロヴニク城壁です。
映画でキキが空から街を見下ろすシーンは、この城壁からの眺めを彷彿とさせます。
城壁を歩きながら、映画と同じような風景を楽しむことができ、まるでキキと一緒に空を飛んでいるかのような気分になれます。
また、フランシスコ会修道院も見逃せません。
修道院の中庭や、古い建物の雰囲気は、映画の中で描かれる古き良きヨーロッパのイメージと重なります。
この場所で静かに過ごしながら、映画のシーンを思い浮かべるのも良いでしょう。
このように、ドゥブロヴニク旧市街では「魔女の宅急便」の舞台を巡る旅が可能です。
映画の世界に浸りながら、実際の街並みを堪能することで、映画への愛着がさらに深まることでしょう。
「ドゥブロヴニクの赤い屋根と青い海、あの景色が本当に素晴らしいよね。キキが飛んでるシーンがまさにそれを映し出してる感じだ。」
「そうね。特に旧市街の石畳の通りなんかは、映画と同じ雰囲気があって、歩いているだけでワクワクするわ。」
「実際に行ったら、映画の世界に入り込んだみたいな気分になれそうだね。」
アドリア海の真珠探訪:ドゥブロヴニク旧市街の美しさを体感する
ドゥブロヴニク旧市街が「アドリア海の真珠」と呼ばれる理由は、その圧倒的な美しさにあります。
アドリア海に面したこの街は、青い海と赤い屋根のコントラストが非常に美しく、多くの観光客を魅了してやみません。
この記事では、この美しさを実際に体感するためのポイントを紹介します。
まず最初に訪れたいのは、ロヴリェナツ要塞です。
この要塞からは、ドゥブロヴニク旧市街を一望できる絶景が広がります。青いアドリア海と赤い屋根が織りなす景色は、まさに「アドリア海の真珠」と呼ぶにふさわしい美しさです。
特に夕暮れ時には、太陽の光が街を黄金色に染め上げ、息をのむような光景が広がります。
次におすすめなのは、ボカル要塞からの眺めです。
こちらもドゥブロヴニク旧市街を一望できる場所であり、海に浮かぶように見える街並みが印象的です。
ここでは、歴史的な建築物と自然が調和した景観を楽しむことができ、まるで絵画のような美しさを感じられます。
最後に訪れたいのは、スルジ山の展望台です。
ケーブルカーで山頂に登ると、アドリア海に囲まれたドゥブロヴニク旧市街の全景が目の前に広がります。
特に晴れた日には、遠くまで見渡せる景色が広がり、街の美しさを最大限に楽しむことができます。
この展望台から見るドゥブロヴニクは、まさに「アドリア海の真珠」としての輝きを放っています。
このように、ドゥブロヴニク旧市街は、その美しさをさまざまな場所から体感することができます。
訪れるたびに異なる表情を見せるこの街は、一度足を運べば忘れられない思い出となることでしょう。
ドゥブロヴニク旧市街の歴史と世界遺産の魅力
「アドリア海の真珠」というものをご存知ですか?イタリアの東側に広がる、アドリア海で採れる真珠……ではなくクロアチアが世界に誇る世界遺産の1つです。
ドゥブロヴニク旧市街の基本情報
登録区分)文化遺産
登録年)1979年
登録基準)(1), (3), (4)
登録国)クロアチア
登録地域)ヨーロッパ
ドゥブロヴニク旧市街は、「アドリア海の真珠」と呼ばれ、中世の美しい町並みが残るクロアチアの文化遺産です。
「アドリア海の真珠」ドゥブロヴニク旧市街の歴史と危機遺産
ドゥブロヴニク旧市街は、イタリアの東側に広がるアドリア海に面したクロアチアの南端に位置する都市です。
中世ヨーロッパの美しい街並みは、海岸の青と砂浜の白に浮き上がるように鮮やかで、「アドリア海の真珠」と呼ばれるほど美しさが評価されている街です。
ドゥブロヴニク旧市街の地理
クロアチアのドゥブロヴニク旧市街は、アドリア海沿岸のダルマチア最南部に位置する都市です。
面積は21.35km2とコンパクトで、東京都調布市(21.58km2)や、港区(20.36km2)愛知県長久手市(21.55km2)と同じくらいの広さです。
人口は42615人で訪れる観光客が人口を上回るとされ、千葉県館山市(43586人)や群馬県沼田市(43109人)に近い人口です。
市民の半数以上の約28000人がドゥブロヴニク市街に居住しているため、クロアチアの中でも人口密度の高い地域でもあります。
ドゥブロヴニク旧市街の歴史
世界遺産に登録されるドゥブロヴニク旧市街は、高さ20メートル、厚さ5メートル、周囲約1900mのドゥブロヴニク城壁と呼ばれる壁に囲まれています。
町の起源は古くローマ帝国時代、記録によってはローマ以前に溯るとされています。
城壁を含む旧市街地が最初に造られたのは7世紀とされていますが、改築を重ねながら広まったため、現在観光地になっている場所は12世紀から17世紀にかけて造られました。
ドゥブロヴニクは、歴史的に海洋貿易によって栄えた歴史を持ち、中世当時のラグーサ共和国はアマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアなどと共に5つの海洋共和国に数えられていました。
アドリア海の経済規模、美術的な価値でドゥブロヴニクのライバルとる都市国家は、日本国内でも有名なヴェネツィア共和国だけであったとされています。
ドゥブロヴニクを治めていたラグーサ共和国は、1272年に自治権を獲得し、1358年には隷属関係にあったハンガリー王国から独立を果たします。
独立後は、15世紀から16世紀にかけて経済と人口とまに最盛期を迎え、1808年までラグーサは自由国として存続しています。
ユーゴスラビア紛争と危機遺産
ローマ帝国の時代から、美しい街並みを保ち続けたドゥブロヴニクにも存続の危機が訪れた時代がありました。
ソビエト連邦の崩壊後、支配下にあった東欧諸国では民主化や新しい支配者の誕生がありました。
当時のクロアチア(クロアチア社会主義共和国)は、連邦を治めていたユーゴスラビア社会主義連邦共和国からの民主化と支配の混沌の中にあり、冷戦終結によって地域の民族が独立を目指すユーゴスラビア紛争が起こります。
1991年のソビエト連邦崩壊から、国連が参加し終結した2001年まで紛争が続きます。
最終的にマケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、スロベニアの4ヶ国が独立しますが、連邦制の維持を望むセルビアとモンテネグロは1992年にユーゴスラビア連邦共和国を形成します。
ドゥブロヴニクは、1970年代に国際法で定められた軍備を持たない代わりに侵略も受けない無防備都市宣言をしてい都市でしたが、ユーゴスラビア紛争では激しい戦闘を目の当たりにします。
ドゥブロヴニク包囲と呼ばれる戦闘は、社会主義勢力のユーゴスラビア人民軍の政権側組織セルビア・モンテネグロによってクロアチア側が一方的な攻撃を受け、7ヶ月間包囲が続いたことで、114人が死亡し数百名が負傷してしまう出来事です。
人的被害はもちろん、歴史的な建築物も数多く破壊されたことで、ドゥブロヴニク旧市街は危機遺産に登録されることになります。
ドゥブロヴニク包囲に参加したユーゴスラビア人民軍の政権側組織は、紛争の終結後に戦争犯罪の容疑で摘発され、合計161人が訴追され元代理大統領のスロボダン・ミロシェヴィッチ氏をはじめ多くの犯罪者が責任を問われることになります。
アドリア海の真珠の名所
ブルーとコバルトの海とグレーの壁に赤いレンガの対比で、街全体が美しいドゥブロヴニク旧市街。街の中の建築物1つ1つにも見どころがあります。
世界で最古の植物園アルボレトゥム・トルステノの建造は1492年以前に遡り、ルネサンス期遺産で最も輝かしいスポンザ宮殿は16世紀に建造されています。
多くの観光客が訪れるフランシスコ会修道院には、中世から近世にかけての30000冊の蔵書、1500もの貴重な手書きの文書の他、数多くの芸術品が納められています。
世界遺産検定公式過去問集(3級)からの例題
Q1.次の3つの文から推測される世界遺産として、正しいものはどれか?
・13世紀に共和制の自治都市となって以来、自治を守ってきた
・1990年代のユーゴスラビア内線で建築物の7割が破壊された
・内戦終結後、市民の手で中世の町並みを再建することに成功し、危機遺産から脱した
引用元: 世界遺産検定公式過去問集(p33,2018年7月世界遺産検定3級より)
1.フェニキア都市ビブロス
2.カトマンズの谷
3.ワルシャワの歴史地区
4.ドゥブロヴニク旧市街
しかし、1990年代のユーゴスラビア内戦の際、ドゥブロヴニクは大規模な攻撃を受け、建築物の約7割が破壊されるという深刻な被害を受けました。
内戦終結後、市民たちはこの美しい中世の町並みを再建するために立ち上がり、多大な努力と時間をかけて復興を遂げ危機遺産リストからも除外され、再びその美しい姿を取り戻すことができました。ドゥブロヴニク旧市街の再建は、戦争や災害からの復興のシンボルとして、歴史的価値と美しさを守り続けるための市民の努力を称える例として、世界的に評価されています。
ドゥブロヴニク旧市街のお話はいかがでしたか?世界遺産検定の過去問は、3級ということもあり細かな内容が出題されていましたね。世界遺産の中でも、危機遺産や負の遺産は決して明るくはないな出来事を乗り越えた歴史があります。
「アドリア海の真珠」と呼ばれ、クロアチアが誇る世界遺産ドゥブロヴニク旧市街。訪れてみたいものですね。
「この記事を読んでると、ますますドゥブロヴニクに行きたくなってきたわ。」
「そうだね。映画の舞台を実際に見るって、映画ファンにとっては特別な体験だよ。次の休暇はここに決まりだね。」
「本当に。早速計画を立てなくちゃ!」