エジプトといえば、ピラミッドやスフィンクスなど、古代文明の壮大な遺産が思い浮かびますが、その中でも特に注目すべき世界遺産があります。それが「アブシンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」です。この遺跡群は、エジプト文明の中でも特に重要な神殿が集中しており、その歴史的・文化的価値から、ユネスコ世界遺産にも登録されています。
しかし、この遺跡群がただの歴史的な遺産ではないことをご存知でしょうか?実は、1960年代にアスワン・ハイ・ダム建設による水没の危機にさらされたことで、世界中から注目を集め、国際的な協力を得て保存活動が行われました。この一連の活動が、現在私たちが知る「世界遺産」という概念を生み出すきっかけとなったのです。
この記事では、アブシンベル神殿からフィラエ神殿に至るまでのヌビア遺跡群の魅力やその保存活動について、詳しくご紹介します。歴史と文化が交錯するエジプトの遺跡群を探る旅へ、ぜひご一緒にお越しください。
ヌビア遺跡群が保存された歴史的背景と国際的取り組み
アブシンベル神殿とフィラエ神殿を巡るおすすめ観光ルート
フィラエ神殿の特徴と他のヌビア遺跡との違い
アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群の基本情報
「ねえ、アキラさん、エジプトに行くならやっぱりピラミッドだけじゃなくて、ヌビア遺跡群も見逃せないですよね?」
「そうだね、エミ。特にアブ・シンベルからフィラエまでの遺跡群は、世界遺産が生まれるきっかけになった重要な場所なんだ。エジプトの歴史を深く知るには必見だよ。」
世界遺産が数多く登録されているエジプトには、メンフィスのピラミッド地帯、古代都市テーベと合わせて知っておきたい世界遺産があります。
それは、世界遺産が生まれるきっかけにもなった「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」です。
登録区分)文化遺産
登録年)1979年
登録基準)(1),(3),(6)
登録国)エジプト
登録地域)アフリカ
古代エジプト文明の人々の暮らし、政治と経済、そして信仰はピラミッドをはじめとした遺跡で明らかになりつつあります。
アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群は、エジプト文明の半ば頃に建設された神殿で、世界遺産が生まれるきっかけにもなった遺跡でもあります。
世界遺産の生まれたきっかけになったアブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群
3000年以上続いたとされるエジプト文明の歴史は、記録が定かではない時代から終わりを迎えた時代まで9〜10の期間に分けられています。
アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群とエジプトの歴史
エジプト先王朝時代と呼ばれる紀元前3000年以前に始まったとされ、紀元前3100年から紀元前2686年までのエジプト初期王朝時代、紀元前2686年から紀元前2181年までで古王朝と略されるエジプト古王国へと続きます。
その後、第1王朝と略されるエジプト第1中間期が紀元前2686年から紀元前2181年まで、中王朝と呼ばれるエジプト中王国が紀元前2055年から紀元前1795年まで栄えます。
さらに、紀元前1795年から紀元前1550年までのエジプト第2中間期は第2王朝、紀元前1550年から紀元前1069年までのエジプト新王国を新王朝と呼び、紀元前1069年から紀元前664年までのエジプト第3中間期を第3王朝、紀元前664年から紀元前332年までをエジプト末期王朝と区切っています。
紀元前332年から紀元前30年は、プトレマイオス朝の影響を受けたためプトレマイオス期とも呼ばれています。
アブ・シンベル大神殿は、エジプト文明のちょうど半ば新王国時代に建造されたことが明らかになっています。
後に、建築王と呼ばれ数多くの建築に携わった当時の王ラムセス2世が建設を指揮したとされています。
建築に力を入れていたラムセス2世が主導したことで、ナイル川にせり出した岩山を掘削して造られた大規模な岩窟神殿は「古代エジプト神殿建築の最高傑作」と高い評価を受けています。
新王朝時代は、エジプト文明の中でも信仰される神の数が広まった時期でもあります。
アブ・シンベル大神殿には、建築の神とされ一般国民にも慕われる創造神プタハ神、最高神とされるアメン・ラー神、ラーに近い位置に数えられるラー・ホルアクティ神、そしてラムセス2世の像が祀られています。
神殿内には窓を通して太陽光が差し込み、冥界神であるプタハを除いた3体を照らすように設計されています。
一説では大規模事業を成功させたラムセス2世は、死後にアメン=ラーやラー・ホルアクティに並ぶ力を得たと考えられている説もあるようです。
アブ・シンベル神殿と世界遺産が生まれた背景
エジプト文明の頃から地域を支えたナイル川は、雨季と乾季の水量の差で度々氾濫を繰り返していました。
1960年代のエジプトでは、氾濫による人的被害、経済的被害が見過ごせない規模になり、ナイル川流域にアスワン・ハイ・ダムの建設計画が持ち上がります。
当時は過去の遺跡の希少価値が高くはなく、ヌビア遺跡のアブ・シンベル神殿をはじめとする遺跡群は、ダム湖に水没させてしまう計画でした。エジプトの初代文化大臣だったサルワト・オカーシャ氏は、遺跡の保護のため国際社会の協力を得るキャンペーンを開催します。
ヨーロッパ諸国や日本を含む世界各国から支援が集まり、イシス神殿やカラブシャ神殿、アマダ神殿、など10個ほどの遺跡が水面上へと移設されることになりました。
遺跡保護のキャンペーンは、世界を動かすきっかけにもなります。国連を中心にまとまりつつあった世界の文化的な交流は、乱開発から歴史的価値のある遺跡、建築物、自然等を国際的な組織運営で守ろうという機運がうまれます。
その結果、1972年11月16日、ユネスコのパリ本部で開催された第17回ユネスコ総会で世界の世界遺産条約が満場一致で可決され、各国の申請する歴史的遺跡、自然の生み出した生態系などに国際的な評価を得られるようになりました。
ヌビア遺跡群の構成遺産
アブ・シンベル神殿の他にも、ヌビア遺跡群には保護活動で移築された神殿が複数登録されています。中でも、アブ・シンベル小神殿に含まれるイシス神殿(フィラエ神殿)とカラブシャ神殿は有名です。
イシス神殿(フィラエ神殿)は、エジプト文明の民衆に慕われた豊作の神イシス女神を祀るため、プトレマイオス朝時代に建設されその後ローマ時代にわたって増築された神殿です。
新王国時代に建設されたカラブシャ神殿は、現代にも名前が残るアメンホテプ2世やトトメス3世が関わっていたとされています。
神殿内には、ヌビアの太陽神マンドゥリスが祀られ、エジプト文明の崩壊後もプトレマイオス朝、ローマ帝国支配時代を通して再建されたことが明らかになっています。
ヌビア遺跡群保存活動の詳細と国際的な取り組み
ヌビア遺跡群は、アスワン・ハイ・ダムの建設による水没の危機に直面したことから、国際的な保存活動が始まりました。この活動は、世界中の注目を集め、遺跡の保護だけでなく、世界遺産の概念が生まれるきっかけにもなりました。では、その具体的な取り組みと国際的な支援について詳しく見ていきましょう。
保存活動の背景
1960年代、エジプト政府はナイル川の水量を管理し、農業や発電を促進するためにアスワン・ハイ・ダムの建設を計画しました。しかし、このダムの完成により、ヌビア遺跡群が水没する危機に直面しました。特に、アブシンベル神殿やフィラエ神殿といった貴重な遺跡が失われる可能性が高まり、エジプト政府はユネスコに支援を求めました。
ユネスコの国際キャンペーン
ユネスコは、1960年に「ヌビア遺跡群を救え」という国際キャンペーンを立ち上げ、世界各国に協力を呼びかけました。このキャンペーンは、史上初めての大規模な文化遺産の保護プロジェクトであり、50カ国以上が参加しました。集まった資金と技術を駆使して、遺跡を安全な場所へと移設する計画が進められました。
遺跡の移設作業
最も有名な保存活動の一つが、アブシンベル神殿の移設です。神殿は、巨大な岩の塊に彫り込まれた構造であったため、移設は非常に困難でした。まず、神殿を数千のブロックに切り分け、その後、現在の位置に再組み立てるという方法が取られました。この作業には、エジプト人だけでなく、世界中の専門家が参加し、最先端の技術が投入されました。
国際的な取り組みとその意義
この保存活動は、単に遺跡を救うだけでなく、国際社会が協力して文化遺産を保護するという新しい考え方を生み出しました。この成功がきっかけとなり、1972年には「世界遺産条約」が採択され、世界中の遺跡や自然遺産が保護されるようになりました。
このように、ヌビア遺跡群の保存活動は、世界遺産の誕生という大きな歴史的意義を持ち、現在でもその教訓が引き継がれています。文化遺産を未来に残すための国際的な協力の重要性を示す象徴的な事例として、この取り組みは世界中で高く評価されています。
フィラエ神殿の特徴と他のヌビア遺跡との違い
フィラエ神殿は、エジプトのヌビア遺跡群の中でも特に美しい遺跡として知られています。この神殿は、豊かな歴史と独特の建築スタイルを持ち、他のヌビア遺跡と比べても、その特異性が際立っています。ここでは、フィラエ神殿の特徴や他の遺跡との違いについて詳しくご紹介します。
フィラエ神殿の歴史的背景
フィラエ神殿は、エジプトの女神イシスを祀るために、プトレマイオス朝時代に建設されました。この神殿は、古代エジプトの宗教的中心地として非常に重要な役割を果たしており、その後のローマ時代にも信仰が続けられました。神殿が建てられたフィラエ島は、ナイル川の流れの中に浮かぶ美しい場所で、そのロケーションも魅力の一つです。
建築様式と特徴
フィラエ神殿の建築は、古代エジプトの伝統的なスタイルを継承しつつも、プトレマイオス朝やローマ帝国の影響を受けた特徴的なデザインを持っています。特に、柱廊や精緻なレリーフ彫刻が特徴で、これらの装飾は非常に細かく、美しい彫刻が施されています。神殿内の壁画には、イシス神話やその他の神々が描かれており、訪れる者を神秘的な世界に引き込む魅力があります。
他のヌビア遺跡との違い
他のヌビア遺跡と比べた時、フィラエ神殿が特に異なるのは、その保存状態と移設の歴史です。アブシンベル神殿のように巨大な彫像が特徴ではなく、フィラエ神殿はその優雅で繊細な建築が際立ちます。また、フィラエ神殿はもともとフィラエ島にありましたが、アスワン・ハイ・ダムの建設による水没を避けるため、現在のアギルキア島に移設されています。この移設プロジェクトは、非常に精密な作業が求められ、多くの文化財が失われずに済みました。
フィラエ神殿の現在の役割
現在、フィラエ神殿は観光地としてだけでなく、エジプトの遺産保護の象徴としても知られています。移設後も、その壮麗な姿は変わらず、多くの訪問者を魅了しています。また、ナイトショーなどのイベントも行われており、昼夜問わず楽しめるスポットとなっています。
このように、フィラエ神殿は他のヌビア遺跡とは異なる独自の魅力を持ち、その歴史や建築はエジプトの文化遺産として重要な位置を占めています。訪れる際には、その美しさだけでなく、保存のために行われた国際的な努力にも思いを馳せてみてください。
エジプト観光庁の公式サイト: Egypt Tourism Authority
世界遺産検定公式過去問集(4級)からの例題
Q1.「アブ・シンベル神殿」は1960年代にどのような状況にあったのでしょうか?
引用元: 世界遺産検定公式過去問集(p75,2018年9月世界遺産検定4級より)1.砂漠の砂に埋もれてしまう心配があった
2.近くのダム完成に伴い、ダム湖に沈んでしまう心配があった
3.地震で崩壊したため修復する必要があった
4.エジプトの神を信仰しない異教徒によって破壊されたため、修復する必要があった
解説:1960年代、アブ・シンベル神殿はアスワン・ハイ・ダムの建設によりダム湖に沈む危機に直面していました。このため、ユネスコ主導で神殿を移設する大規模な保存活動が行われました。この取り組みが、世界遺産保護の重要性を広めるきっかけとなりました。
Q2.「アブ・シンベル神殿」は何の文明の遺産でしょうか?
引用元: 世界遺産検定公式過去問集(p97,2018年12月世界遺産検定4級より)1.古代メソポタミア文明
2.古代エジプト文明
3.インカ文明
4.マヤ文明
エジプト文明の文化遺産、アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群のお話はいかがでしたか?エジプト文明というとピラミッドが有名ですが、世界遺産が生まれるきっかけになったヌビア遺跡群は過去問にも出題されることが多い世界遺産です。
メンフィスのピラミッド地帯、古代都市テーベと合わせて、登録された背景と特徴を合わせて覚えておきたいですね。
「この記事を読んで、ますますエジプトに行きたくなりました!特にヌビア遺跡群の保存活動には感動しました。」
「そうだね。エジプトの遺産には、その背後に多くの努力があったんだ。エミも実際に行ってその目で確かめてみて。」
アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群の場所まとめ
- アブシンベル神殿は古代エジプト文明の遺産
- 1960年代にダム建設で水没の危機にあった
- ユネスコ主導で神殿の移設が行われた
- 移設作業は国際的な支援を受けて実施された
- この保存活動が世界遺産条約の契機となった
- 神殿はラムセス2世によって建造された
- ナイル川沿いに位置し、観光スポットとなっている
- 移設前はヌビア地方の岩山に刻まれていた
- 神殿内にはラムセス2世の巨大な像がある
- フィラエ神殿も同時期に移設された重要遺跡
- アブシンベル神殿はユネスコ世界遺産に登録されている
- ナイル川クルーズでアクセスできる観光地
- 神殿はエジプト新王国時代の建築技術を象徴する
- 保存活動は50カ国以上が協力して行われた
- アブシンベル神殿はエジプト観光のハイライトとなっている