北海道と北東北地方に点在する「縄文遺跡群」は、2021年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。この遺跡群は、縄文時代の人々が農耕に移行することなく、狩猟・採集・漁労を基盤とした生活を1万年以上にわたって営んでいた証拠を提供します。
考古学的な遺跡が現存しない中、これほど長期間にわたって持続された生活様式が評価され、世界遺産として認められました。この記事では、世界遺産登録の理由や、縄文遺跡群の特徴と見どころについて詳しく解説します。
縄文時代の生活様式や文化、特に狩猟・採集・漁労を基盤とした定住生活
三内丸山遺跡をはじめとする各遺跡の特徴と見どころ
縄文遺跡群の保存活動の歴史とその文化的意義
北海道・北東北の縄文遺跡群が世界遺産に選ばれた理由とは?
北海道・東北地方には、広い範囲に点在する世界遺産、「北海道・北東北の縄文遺跡群」があります。2021年に登録されたばかりで、現存しない考古学的な遺跡のみの登録は、文化遺産として日本初のため、とても注目されています。
「先生、この縄文遺跡群が世界遺産に選ばれた理由って、何が特別なんですか?」
「良い質問ですね、ユウさん。縄文遺跡群は、農耕に移行せず、狩猟・採集・漁労を基盤とした生活を1万年以上続けた証拠を示しているんです。これほど長期間にわたって持続された生活様式が評価され、世界遺産に登録されました。」
今回は、有名映画の世界観を頼りに、登録されたばかりの文化遺産に触れさせていただきます。
登録区分)文化遺産
登録年)2021年
登録基準)(3), (5)
国内の登録順位)No.25
訪れるべき北海道・北東北の縄文遺跡群スポット
「北海道・北東北の縄文遺跡群」は、青森県を中心に南は秋田県と岩手県、北は北海道の道南・道央にまで点在する縄文時代の遺跡群です。
中でも有名な遺跡は、青森県の「三内丸山遺跡」で、他の遺跡も地域をまたいで発見されていることから、縄文時代の北海道・東北地方に海を超えて広がっていた文化圏が存在したことがわかります。
登録されている地域が日本国内でも上位の面積を占める4つの県に点在するため、面積は1419km2(141.9 ha)と、文化遺産の中ではとても広い登録面積です。
北海道・北東北の縄文遺跡群の「かつて存在した文化圏」とは?
北海道・北東北の縄文遺跡群は、現存しない「かつて存在した文化圏」への悠久の思いを馳せる文化遺産です。
世界遺産検定に望まれる前に、特徴を整理してみましょう。
縄文時代の生活と文化:北海道・北東北遺跡群から学ぶ
・5600万年前 – 3400万年前〜日本列島が生まれる
・10万年前以前-約3.5万年前〜人類の移住
・紀元前8世紀頃〜中国大陸から弥生人が移動
・2世紀末-3世紀古墳時代から飛鳥時代〜大和民族による政権が近畿地方に確立
・8世紀の平安時代〜東北地方が中央政権に組み込まれる
・16世紀戦国時代から江戸時代〜戦国大名松前氏が北海道南部渡島半島を実効支配、江戸幕府によって領有が認められる
・18世紀末-19世紀江戸時代〜北海道全域が江戸幕府の直轄領になる
2021年に世界文化遺産に登録された理由
関東を堺に、西側と東側の違いがわかる日本の出来事を一覧で見てみましょう。
現代の政権につながる大和朝廷は、古墳時代から飛鳥時代にかけ、近畿地方に確立されたことは明らかです。
ルーツになるのは、中国大陸から移動した弥生人でした。
大和朝廷は、近畿地方から東西へ勢力を広げ、東北地方が大和朝廷に組み込まれたのは平安時代、北海道は江戸時代になってからです。
古代から中世にかけての東北地方・北海道地方
大和朝廷の東北地方と北海道への勢力拡大は、平安時代から活発になるなったとされ、歴史的な人物の坂上田村麻呂によって大規模な東北遠征が行われ、東北地方は大和朝廷に組み込まれたというのが歴史に残っています。
平安時代後期には、鎌倉時代に活躍した奥州藤原氏の支配が東北北端まで及びます。
勢力拡大というと穏便な印象を受けますが、東北地方や北海道にも元々暮らす人々の社会があり、有力者との盟約や支配下に加わる臣従、さらに反発する勢力には武力行使が行われたことが、大和朝廷側の記録に残っています。
現代的な判断基準では、武力行使を受け占領を経て併合されたことになります。
かつて存在した文化圏とジブリ映画の世界観
実は、多くの方が見たことがあるジブリ映画『もののけ姫』には、当時の古代から中世にかけての日本を知る設定があります。
主人公アシタカの出身は、当時の東北地方から北海道に暮らしていた蝦夷(えみし)と呼ばれる民族がモデルになっています。
蝦夷(えみし)は、縄文時代から日本で暮らしていた民族の末裔とされる狩猟民族で、古墳時代から飛鳥時代にかけては中部地方や関東より東側、大和朝廷の勢力拡大が活発になった平安時代以降は主に東北地方と北海道で暮らしていたとされています。
特に大規模な蝦夷(えみし)の集団は、宮城県中部から山形県以北の東北地方と、北海道の大部分に及ぶ広範囲に住んでいたことが飛鳥時代の日本書紀に記録されています。
一方、当時の蝦夷(えみし)の民族と末裔とされているアイヌ民族には記録を残す文化がなかったため、客観的な資料になる記録はどうしても大和朝廷や幕府など中央政権側に偏ってしまっていることも事実といえるでしょう。
北海道・北東北の縄文遺跡群の特徴とその歴史的価値
北海道・北東北の縄文遺跡群は、縄文時代における長期間の定住生活を示す重要な考古学的証拠です。これらの遺跡は、農耕に移行することなく、狩猟・採集・漁労を基盤とした生活を1万年以上続けた縄文人の生活様式や文化を理解するための貴重な資産です。
この章では、縄文遺跡群の発見と保存活動の歴史、縄文時代の生活と文化、そしてかつて存在した文化圏について詳しく解説します。
縄文遺跡群の発見と保存活動の歴史
「縄文時代の人々って、どうして農耕に移行せずに狩猟や採集で生活を続けたんでしょうか?」
「それも興味深い点ですね。縄文人は、豊かな自然環境に恵まれていて、狩猟や採集で十分な食糧を得ることができたため、農耕に頼らなくても持続的な生活を送ることができたんです。」
北海道・北東北の縄文遺跡群の発見は、地域の人々の偶然の発見から始まりました。特に、三内丸山遺跡の発掘は1990年代に大規模な調査が行われ、縄文時代の定住生活の痕跡が明らかになりました。この遺跡からは、大規模な住居跡や貝塚、土器などが発見され、縄文時代の人々が農耕に依存せず、狩猟や採集を基盤にした豊かな生活を送っていたことがわかります。
保存活動については、地元自治体や文化財保護団体の努力が大きく寄与しています。これらの団体は、遺跡の保存と公開を両立させるために、様々な取り組みを行っています。例えば、遺跡の発掘調査だけでなく、見学者向けのガイドツアーや教育プログラムの実施、さらには遺跡の再現施設の建設などが行われています。
縄文時代の生活と文化:北海道・北東北遺跡群から学ぶ
縄文時代の生活と文化は、北海道・北東北の縄文遺跡群から多くを学ぶことができます。この地域の遺跡群は、1万年以上にわたって狩猟・採集・漁労を基盤とした生活を続けた人々の痕跡を残しています。特に、縄文人は季節ごとに移動するのではなく、特定の場所に定住し、周辺の豊かな自然資源を持続的に利用していました。
遺跡からは、土器、石器、貝塚、住居跡などが発見され、これらの遺物からは当時の人々の生活の様子がうかがえます。例えば、土器は食物の保存や調理に使われ、石器は狩猟や木工に使用されました。また、貝塚は食べ物の廃棄物を捨てる場所として使われただけでなく、儀礼的な場としても機能していたと考えられています。
北海道・北東北の縄文遺跡群の「かつて存在した文化圏」とは?
北海道・北東北の縄文遺跡群は、かつて存在した広大な文化圏の一部です。この文化圏は、北海道から北東北地方にかけて広がり、海を越えて人々が交流していたことが示唆されています。特に、青森県の三内丸山遺跡や北海道の垣ノ島遺跡など、複数の大規模な遺跡が点在し、それぞれが独自の文化を発展させながらも、共通の文化的特徴を持っていました。
この文化圏の特徴としては、豊富な自然資源を持続的に利用する生活様式や、高度な精神文化が挙げられます。例えば、縄文人は漁労や狩猟だけでなく、植物の採集や栽培も行っており、季節に応じて様々な資源を利用していました。また、祭祀や儀礼を重視し、独自の信仰や宗教観を持っていたことが、遺跡から発掘された土偶や環状列石などの遺物からうかがえます。
これらの遺跡群は、現代に生きる私たちにとっても、持続可能な生活のモデルとして学ぶべき多くの教訓を提供してくれます。
見どころ満載!北海道・北東北の縄文遺跡群おすすめスポット
北海道と北東北には、多くの縄文遺跡が点在しており、それぞれがユニークな見どころを持っています。以下に、特に訪れる価値があるスポットを紹介します。
三内丸山遺跡とその見どころ
三内丸山遺跡は、青森県青森市に位置し、縄文時代の大規模な定住集落跡として知られています。この遺跡は、紀元前3900年から紀元前2300年にかけて栄えたとされ、多くの住居跡や貝塚、土器などが発見されています。
三内丸山遺跡の見どころの一つは、巨大な六本柱建物の復元です。この建物は、おそらく祭祀や集会の場として使用されていたと考えられ、その規模と構造は当時の技術の高さを示しています。また、遺跡からは様々な土器や石器が出土しており、これらは三内丸山遺跡展示館で見ることができます。展示館では、出土品の展示だけでなく、縄文時代の生活様式を再現した模型や映像資料も展示されており、訪れる人々にとって非常に興味深い体験を提供しています。
北海道・北東北のその他の注目遺跡
北海道・北東北地方には、三内丸山遺跡以外にも多くの注目すべき縄文遺跡があります。例えば、北海道の垣ノ島遺跡は、北海道函館市に位置し、縄文時代の住居跡や貝塚が発見されています。この遺跡は、海沿いに位置し、当時の人々がどのように海洋資源を利用していたかを示しています。
北海道の垣ノ島遺跡住所:函館市臼尻町551-1
参照サイト:北海道・北東北の縄文遺跡群
また、岩手県の御所野遺跡も注目に値します。この遺跡は、岩手県二戸郡一戸町にあり、広大な環状列石が特徴です。御所野遺跡の環状列石は、祭祀や天文観測に使用されたと考えられ、その規模と精密さは当時の文化の高さを示しています。
住所:岩手県二戸郡一戸町岩舘字御所野2
参照サイト:御所野縄文公園
さらに、秋田県の大湯環状列石も見逃せません。秋田県鹿角市に位置するこの遺跡は、二重の環状列石が特徴で、縄文時代の宗教的・儀礼的な側面を強く感じさせる場所です。これらの遺跡を巡ることで、縄文時代の広範な文化圏をより深く理解することができます。
住所:秋田県鹿角市十和田大湯字万座45番地
参照サイト:鹿角市役所
訪れる際のおすすめルートとアクセス情報
北海道・北東北の縄文遺跡群を訪れる際には、効率的に巡るためのルートとアクセス情報を事前に調べておくことが重要です。まず、青森県の三内丸山遺跡を訪れることをお勧めします。この遺跡は、青森駅からバスで約20分の場所にあり、アクセスも良好です。
次に、岩手県の御所野遺跡に向かうと良いでしょう。青森からは新幹線で盛岡まで行き、そこからバスまたはレンタカーで約1時間です。御所野遺跡の広大な環状列石を見学した後は、秋田県の大湯環状列石に足を運ぶのが良いでしょう。盛岡から秋田へは電車で約2時間、その後バスで約1時間で到着します。
最後に、北海道の垣ノ島遺跡を訪れるために函館に向かいます。青森から函館へはフェリーで約4時間、あるいは新幹線で約1時間半です。函館駅からはバスで遺跡まで簡単にアクセスできます。
世界遺産検定公式過去問集(4級)の傾向
北海道・北東北の縄文遺跡群が世界遺産に登録されたのは2021年のため、出題傾向されている過去問は見当たりません。
よって、chatGPTに予想問題を作成してもらいましたので参考にしてください。
北海道・北東北の縄文遺跡群で最も有名な遺産は、三内丸山遺跡です。また、遺跡を築いた文化圏の特徴では、縄文時代にかけて北海道から東北地方の海を隔てた規模、その後は縄文人をルーツにもつ民族が文化を引き継いだことです。
2021年に登録された北海道・北東北の縄文遺跡群は、東北地方から北海道の道南に広がる大規模な文化遺産です。
同じ日本国内でも、東北地方と北海道、関東と関西では現代へ続く歴史的な背景が大きく変わるため、有名な出来事と照らし合わせて覚えておきたいですよね。
参照サイトリンク:ユネスコ公式サイト
「この記事を読んで、縄文時代の人々の暮らしや文化がもっと知りたくなりました。実際に遺跡を訪れてみたいです。」
「それは良い考えですね、ユウさん。遺跡を訪れることで、当時の人々の生活や文化をより深く感じ取ることができますよ。歴史を肌で感じる素晴らしい体験になるでしょう。」
北海道・北東北の縄文遺跡群が世界遺産に選ばれた理由のまとめ
- 縄文遺跡群は2021年に世界文化遺産に登録された
- 遺跡群は農耕に移行せず狩猟・採集・漁労を基盤とした生活を示す
- 遺跡群の広範な分布は北海道から北東北地方に及ぶ
- 三内丸山遺跡は最も有名で、青森県に位置する
- 遺跡群の保存活動には地元自治体と文化財保護団体が関与している
- 六本柱建物の復元が三内丸山遺跡の見どころである
- 北海道の垣ノ島遺跡は海洋資源の利用を示す
- 岩手県の御所野遺跡は広大な環状列石が特徴
- 秋田県の大湯環状列石は二重環状列石が見どころである
- 縄文人は特定の場所に定住し自然資源を持続的に利用していた
- 遺跡からは土器、石器、貝塚、住居跡が発見されている
- 文化圏は豊富な自然資源と高度な精神文化を特徴とする
- 見学者向けのガイドツアーや教育プログラムが実施されている
- 縄文遺跡群は持続可能な生活のモデルとして学ぶ価値がある
- 公式サイトのリンクはユネスコ公式サイトを参照